2019年平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)から
◆平和宣言 松井一實 広島市長
◆~「平和への誓い」~ こども代表
◆あいさつ 湯崎英彦 広島県知事
平和宣言
今世界では自国第一主義が台頭し、国家間の排他的、対立的な動きが緊張関係を高め、核兵器廃絶への動きも停滞しています。このような世界情勢を、皆さんはどう受け止めますか。二度の世界大戦を経験した私たちの先輩が、決して戦争を起こさない理想の世界を目指し、国際的な協調体制の構築を誓ったことを、私たちは今一度思い出し、人類の存続に向け、理想の世界を目指す必要があるのではないでしょうか。
特に、次代を担う戦争を知らない若い人にこのことを訴えたい。そして、そのためにも1945年8月6日を体験した被爆者の声を聴いてほしいのです。
当時5歳だった女性は、こんな歌を詠んでいます。
「おかっぱの頭(づ)から流るる血しぶきに 妹抱(いだ)きて母は阿修羅(あしゅら)に」
また、「男女の区別さえ出来ない人々が、衣類は焼けただれて裸同然。髪の毛も無く、目玉は飛び出て、唇も耳も引きちぎられたような人、顔面の皮膚も垂れ下がり、全身、血まみれの人、人。」という惨状を18歳で体験した男性は、「絶対にあのようなことを後世の人たちに体験させてはならない。私たちのこの苦痛は、もう私たちだけでよい。」と訴えています。
生き延びたものの心身に深刻な傷を負い続ける被爆者のこうした訴えが皆さんに届いていますか。
「一人の人間の力は小さく弱くても、一人一人が平和を望むことで、戦争を起こそうとする力を食い止めることができると信じています。」という当時15歳だった女性の信条を単なる願いに終わらせてよいのでしょうか。
世界に目を向けると、一人の力は小さくても、多くの人の力が結集すれば願いが実現するという事例がたくさんあります。インドの独立は、その事例の一つであり、独立に貢献したガンジーは辛く厳しい体験を経て、こんな言葉を残しています。
「不寛容はそれ自体が暴力の一形態であり、真の民主的精神の成長を妨げるものです。」
現状に背を向けることなく、平和で持続可能な世界を実現していくためには、私たち一人一人が立場や主張の違いを互いに乗り越え、理想を目指し共に努力するという「寛容」の心を持たなければなりません。
そのためには、未来を担う若い人たちが、原爆や戦争を単なる過去の出来事と捉えず、また、被爆者や平和な世界を目指す人たちの声や努力を自らのものとして、たゆむことなく前進していくことが重要となります。
そして、世界中の為政者は、市民社会が目指す理想に向けて、共に前進しなければなりません。そのためにも被爆地を訪れ、被爆者の声を聴き、平和記念資料館、追悼平和祈念館で犠牲者や遺族一人一人の人生に向き合っていただきたい。
また、かつて核競争が激化し緊張状態が高まった際に、米ソの両核大国の間で「理性」の発露と対話によって、核軍縮に舵(かじ)を切った勇気ある先輩がいたということを思い起こしていただきたい。
今、広島市は、約7,800の平和首長会議の加盟都市と一緒に、広く市民社会に「ヒロシマの心」を共有してもらうことにより、核廃絶に向かう為政者の行動を後押しする環境づくりに力を入れています。世界中の為政者には、核不拡散条約第6条に定められている核軍縮の誠実交渉義務を果たすとともに、核兵器のない世界への一里塚となる核兵器禁止条約の発効を求める市民社会の思いに応えていただきたい。
こうした中、日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。その上で、日本国憲法の平和主義を体現するためにも、核兵器のない世界の実現に更に一歩踏み込んでリーダーシップを発揮していただきたい。また、平均年齢が82歳を超えた被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。
本日、被爆74周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。
令和元年(2019年)8月6日
広島市長 松井 一實
~「平和への誓い」~
私たちは、広島の町が大好きです。
ゆったりと流れる川、美しい自然、
「おかえり。」と声をかけてくれる地域の人、
どんなときでも前を向いて生きる人々。
広島には、私たちの大切なものがあふれています。
あの日から、血で染まった川、がれきの山、皮膚がはがれた人、たくさんの亡骸、
見たくなくても目に飛び込んでくる、地獄のような光景が広がったのです。
大好きな町の「悲惨な過去」です。
被爆者は語ります。「戦争は忘れることのできない特別なもの」だと。
私たちは、大切なものを奪われた被爆者の魂の叫びを受け止め、
次の世代や世界中の人たちに伝え続けたい。
「悲惨な過去」を「悲惨な過去」のままで終わらせないために。
二度と戦争をおこさない未来にするために。
国や文化や歴史、
違いはたくさんあるけれど、大切なもの、大切な人を思う気持ちは同じです。
みんなの「大切」を守りたい。
「ありがとう。」や「ごめんね。」の言葉で認め合い許し合うこと、
寄り添い、助け合うこと、
相手を知り、違いを理解しようと努力すること。
自分の周りを平和にすることは、私たち子どもにもできることです。
大好きな広島に学ぶ私たちは、
互いに思いを伝え合い、相手の立場に立って考えます。
意志をもって学び続けます。
被爆者の思いに、私たちの思いを重ねて、平和への思いを世界につなげます。
令和元年(2019年)8月6日
こども代表
広島市立落合小学校 6年 金田 秋佳
広島市立矢野小学校 6年 石橋 忠大
あいさつ
原爆犠牲者の御霊(みたま)に,広島県民を代表して,謹んで哀悼の誠(まこと)を捧げますとともに,今なお,後遺症で苦しんでおられる被爆者や,ご遺族の方々に,心からお見舞い申し上げます。
74年前,この地は原爆によりあらゆるものも人も破壊され尽くしました。
しかし,絶望的な廃墟の中,広島市民は直後から立ち上がりました。水道や電車をすぐに復旧し,焼け残りでバラックを建てて街の再建を始めたのです。市民の懸命の努力と内外の支援により,街は不死鳥のごとく甦ります。今,繁栄する広島には,国内外の多くのお客様で賑い,街の姿は,紛争後の廃墟から立ち上がろうとしている国々から訪れる若者に,復興への希望を与えています。
しかしながら,私たちは,このような復興の光の陰にあるものを見失わないようにしなければなりません。緑豊かなこの平和公園の下に,あるいはその川の中に,一瞬にして焼き尽くされた多くの無辜の人々の骨が,無念の魂が埋まっています。かろうじて生き残っても,父母兄弟を奪われた孤児となり,あるいは街の再生のため家を追われ,傷に塩を塗るような差別にあい,放射線被ばくによる病気を抱え今なおその影におびえる,原爆のためにせずともよかった,筆舌に尽くし難い苦難を抱えてきた人が数多くいらっしゃいます。被爆者にとって,74年経とうとも,原爆による被害は過去のものではないのです。
そのように思いを巡らせるとき,とても単純な疑問が心に浮かびます。
なぜ,74年経っても癒えることのない傷を残す核兵器を特別に保有し,かつ事あらば使用するぞと他(た)を脅(おど)すことが許される国があるのか。
それは,広島と長崎で起きた,赤子も女性も若者も,区別なくすべて命を奪うような惨劇を繰り返しても良い,ということですが,それは本当に許されることなのでしょうか。
核兵器の取扱いを巡る間違いは現実として数多くあり,保有自体危険だというのが,米国国防長官経験者の証言です。近年では核システムへのサイバー攻撃も脅威です。持ったもの勝ち,というのであれば,持ちたい人を押しとどめるのは難しいのではないでしょうか。
明らかな危険を目の前にして,「これが国際社会の現実だ」というのは,「現実」という言葉の持つ賢そうな響きに隠れ,実のところは「現実逃避」しているだけなのではないでしょうか。
核兵器不使用を絶対的に保証するのは,廃絶以外にありません。しかし変化を生むにはエネルギーが必要です。ましてや,大国による核兵器保有の現実を変えるため,具体的に責任ある行動を起こすことは,大いなる勇気が必要です。
唯一,戦争被爆の惨劇をくぐり抜けた我々日本人にこそ,そのエネルギーと勇気があると信じています。それは無念にも犠牲になった人々に対する責任でもあります。核兵器を廃絶し,将来世代の誰もが幸せで心豊かに暮らせるよう,我々責任ある現世代が行動していこうではありませんか。広島県としても,被爆75年に向けて,具体的行動を進めたいと思います。
結びに,今なお苦しみが続き,高齢化も進む国内外の被爆者への援護が更に充実するよう全力を尽くすことを改めてここに誓い,平和へのメッセージといたします。
令和元年8月6日
広島県知事 湯崎 英彦