[神奈川県消団連] 5月29日の横浜大空襲から74年 戦争の記憶を風化させてはならない 消費者は戦争のない社会で暮らしたい

2019年06月03日

神奈川県消費者団体連絡会
事務局長 小林 正明

1945年5月29日午前9時20分ごろから約1時間、米軍のB29爆撃機517機により、横浜市の中区、南区、神奈川区を中心に無差別爆撃が行われました。また同時にP51戦闘機101機による機銃掃射も行われました。

工業地、商業地、住宅地及びこれらの混在地が、焼夷弾攻撃でどのように燃えていくかのデータを当時のアメリカ軍は得ておらず、横浜大空襲は、そのデータ収集のための実験的攻撃であったとされています。 燃えやすい木造住宅の密集地を事前に綿密に調べ上げ、油が仕込まれた焼夷弾で狙い撃ちにするという、最初から非戦闘員を狙った住民標的爆撃作戦だったことは、アメリカ軍資料により明らかにされています。

空襲は目視が可能な朝から行われ、焼夷弾攻撃で商工業地及び住宅地がどのように燃えていくか、「データ収集のための実験的攻撃」だったのです。

アメリカ軍は攻撃目標を東神奈川駅、平沼橋、横浜市役所、日枝神社、大鳥国民学校の5ヶ所に定めて襲撃しました。特に被害が甚大だったのは、現在の神奈川区反町、保土ケ谷区星川町、南区真金町地区一帯でした。

死者は約8千名から1万名とされています。

東京大空襲は一晩でB29が320機、横浜大空襲は1時間ほどで517機が上空から襲ったのです。生き残った市民は雨のように降り注ぐ焼夷弾をさけながら逃げまどい、助けを呼び足にすがりつく人を助けることもできず、地獄絵図を見ながら逃げたと証言されています。

横浜は原爆投下候補地でした。その候補地から除外された港街は、焼夷弾の威力測定のための標的に選ばれたのです。

勇ましい言葉は国を不幸に導きます。戦争や被爆の体験者がだんだんといなくなり、悲惨な体験が社会の中で十分に継承されず、戦争を弄ぶような発言が跋扈するような世情を憂いています。

消費者は、いかなる理由であれ、戦争は望みません。

一人ひとりの大切な命が、理不尽に踏みにじられることのない世界でくらすことを心から願います。