おめでとうございます。神奈川みなみ医療生協70周年

2020年12月25日

今年は、神奈川みなみ医療生協の前身である横須賀生協が、消費生活協同組合法(生協法)に基づき設立認可を受けて70周年となります。
戦後の生協運動は、賀川豊彦・山本秋・菊田一雄の諸先輩など、戦前から消費者運動に取り組んできた人たちが日本協同組合同盟(日協同盟)を創るところからスタートします。この創立大会では、食糧難打開の決議が採択されています。
神奈川県下でも終戦の年の12月には神奈川支部が結成され、翌年の1月には川崎地区生活協同組合準備会がつくられました。

住む家もなく、失業者のあふれる街。大きな工場では、働く人に食べ物、特に米を提供する必要に迫られていました。地域でも、食べ物の確保は緊急の課題であり、食料要求・獲得のための組織として、生協をつくる運動が町内会ごとにおきました。

川崎では、佐々木虎三郎さん、山本秋さん達が労働組合と共同して生協設立の準備をすすめ、46年7月6日の国際協同組合デーの日に川崎生協の創立総会を開催し、職域23、地域33の支部を持つ全市単一の生協としてスタート。横浜では菊田一雄さん・岩山信さん達を中心に生協設立の準備が進められ、戦後第2回目の横浜メーデーでは実行委員会の提案で「横浜に全市一本の生協の設立」が決議され、47年9月28日、南区弘明寺の横浜商工会館講堂で横浜生協の創立総会が開催されました。
同じ時期の47年10月には、市民のくらしを守る運動の先頭に立って活動していた加藤勇さん達によって横須賀生協が設立されました。
これらの生協設立の時代は、戦前からの産業組合法の時代です。現在の消費生活協同組合法(生協法)は48年7月1日に成立し、同年10月1日に施行されました。そして生協も改めて生協法の下で設立の認可を受け、横須賀生協は50年11月18日に設立認可を受けました。

戦後の混乱が色濃く、荒廃した生活の中から生活物資を求めて立ち上がった市民達により生まれた生協ですが、事業は拡大しても資金が追い付かず、どの生協でも経営は困難を極めました。49年に入ると「ドッジライン」とシャープ税制の実施で、各企業の人員整理や倒産、工場閉鎖が相次ぎました。横浜生協でも川崎、横須賀生協でも職場支部が壊滅し、商品代金も回収できないような状況になってしまいました。
このような苦労の時代ですが、52年の12月には、横須賀生協の創立4周年で1,200人の参加で「音楽と映画の夕べ」を開催したとの記録が残っています。

設立当初は、横須賀生協は購買生協でしたが、55年に衣笠診療所を開設し、全国でも数少ない購買・医療併設の生協となりました。
73年7月から75年10月までの間は、大窪敬三・横須賀生協理事長に神奈川県生協連の会長職を担って頂いています。
その後、76年11月14日に購買事業と医療事業の分離の総代会を行い、医療事業は横須賀生協、購買事業は77年3月20日に設立の神奈川みなみ生協となりました。
現在の「神奈川みなみ医療生協」の名称は、1983年5月29日の総代会議決によります。

70周年を迎えて、改めて地域の皆さま、組合員・役職員の皆さま、関係行政の皆さまに感謝申し上げます。
これからも「安全」「安心」「信頼」の保健・医療・介護サービスを誠実に提供し、安心して住み続けられるまちづくりに貢献します。

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